先日、株式会社ビズヒッツから、「アパレルの仕事できついことに関する意識調査」というデータが発表され、話題になりました。

この調査に私も監修コメントを寄せさせていただいたのですが、そこでは語り尽くせなかった「アパレル販売員の離職」に関する深層心理と、企業が取り組むべき対策について、心理学の視点から少し深く掘り下げてみたいと思います。

久野梨沙
スタイリスト・公認心理師

大学で心理学を専攻後、オンワード樫山、リーバイ・ストラウス ジャパンにてMD・需要予測職に従事。アパレル業界の現場とビジネス構造を熟知する公認心理師として、現在はアパレル企業向けの組織コンサルティングや人材育成に注力している。

特に、販売員の「感情労働」による負担軽減や、認知行動療法を用いた「売れるマインドセット」の形成など、心理学エビデンスに基づいた離職防止・販売力強化研修に定評がある。 跡見学園女子大学講師。著書に「最高にしっくり似合う服選び」(学研プラス)など。

    Biz Hits採用サイト制作代行サービスのアンケート調査より引用

    「アパレルの仕事できついこと」に関する調査結果のランキングを見ると、興味深い傾向が浮かび上がってきます。

    1位:ノルマがある(30.3%) 2位:立ちっぱなしで働く(24.0%) 3位:クレームを処理する(22.3%)

    2位の「立ちっぱなし」は、アパレル販売員なら誰もが経験する「肉体的な負担」です。もちろん、これも昔から大きな離職要因の一つではあって、特に年齢を重ねてきたときの離職要因になりがちなものです。

    しかし、私が公認心理師として特に注目したのは、1位の「ノルマ」と3位の「クレーム」という要因。というのも、 この2つは、肉体的な疲れとは性質が異なる「感情労働」による辛さに分類されるからです。

    さらにこの2つの要因を合わせると回答数は過半数を超えており、販売員が抱えるストレスの多くが、実は「体」ではなく「心」の摩耗によるものであることが分かります。

    なぜ「ノルマ」と「クレーム」が心を壊すのか?

    そもそも「感情労働」とは、アメリカの社会学者ホックシールドが提唱した概念で、肉体や頭脳を使うのと同様に、「感情のコントロール」が業務として求められる労働のことを指します。

    アパレル販売員で言えば、どんなに自分の体調が悪くても、あるいは個人的に悲しいことがあっても、店頭では笑顔を作り、明るく振る舞わなければなりません。つまり、「感情を管理すること」自体が給料の対価に含まれているということになります。

    つらい仕事ランキング2位にランクインした「立ちっぱなしで働く」ときのような肉体的な疲れは、休息をとればある程度回復します。しかし、「感情労働」による疲れは質が違います。これらは、自分の「本心」と、業務として求められる「言動」との間に乖離(かいり)が生じることで、脳に直接的な負荷をかけるのです。

    例えばノルマのプレッシャーがある時、販売員はお客様に対して「この商品はあまりお似合いではないな」と感じていても、売上のために「とてもお似合いです」と笑顔でハキハキと言わなければならない局面に出くわします。 また、理不尽なクレームに対しても、自分は悪くないと思いながら深々と頭を下げなければなりません。

    このように「思っていること(内心)」と「やっていること(行動)」が食い違っている状態を、自分の心の中で正当化し続ける作業は、強烈なストレスを生みます。 「私は嘘をついている」「お客様を騙しているのではないか」という無意識の罪悪感が蓄積し、ある日突然、糸が切れたように「もう辞めたい」となってしまうのです。

    店長への「丸投げ」が離職を加速させる理由

    こうしたスタッフのケアについて、多くの企業が陥りがちな間違いがあります。それは、「店長(上司)がもっとスタッフ(部下)の話を聞いてあげなさい」という精神論への依存です。

    これには2つの大きな「無茶」があります。

    第一に、そもそも店長は「販売のプロ」ではあっても、「メンタルケアのプロ」ではありません。 他人の深い悩みを適切に引き出し、受け止めるための「傾聴スキル」など、専門的なトレーニングを受けていないのが普通。丸腰の状態で部下の重たい相談を受け止めろというのは、店長に対してあまりに酷な要求です。

    第二に、仮にうまく話を聞けたとしても、解決できなければ意味がありません。話を聞くこと= 「傾聴」が機能するのは、「心理的安全性」が確保され、かつ「話すことで解決する見込みがある」場合に限られます。

    店長には、ノルマを撤廃する権限も、人員を増やす予算権限もないケースがほとんどでしょう。環境を変える「武器」を持たされていない店長に、部下の深刻な悩みを聞かせ続けると、以下のような悪循環に陥ってしまいます。

    1. 部下から「辞めたい」「辛い」と相談される

    2. 店長は話を聞くが、根本的な解決(ノルマ軽減や増員)をしてあげられない

    3. 店長自身も無力感と板挟みのストレスを感じる

    4. 【正常性バイアス】 店長はこれ以上傷つかないよう無意識に防衛本能が働き、部下のSOSに対して「まだ大丈夫だろう」「気のせいだろう」と過小評価(無視)するようになる

    結果として、店長にケアを丸投げすることで、かえって「現場のSOSが本部に届かなくなる(無視されてしまう)」という最悪の悪循環が生まれてしまうのです。

    必要なのは「根性論」ではなく「認知(捉え方)」のトレーニング

    では、どうすれば離職を防げるのでしょうか。

    まず、販売員個人へのアプローチとして有効なのは、販売スキルを叩き込むことよりも、「認知行動療法的なアプローチ」でメンタルブロックを解除することです。

    販売がつらくなるスタッフの多くは、「お金を使わせるのは良くないことだ」「本当に良いもの以外は勧めてはいけない」といった、「販売=お客様からお金を奪う行為」という認知(思い込み)を持っています。この認知がある限り、ノルマのための接客はすべて「嘘」になり、苦痛でしかありません。

    この解決策としてまず必要なのは、こうした「認知の歪み」を修正することです。

    具体的には、

    「買い物は、新しい自分に出会う喜びや体験を得る行為である」
    「似合うかどうかだけでなく、その服がもたらす未来(自信、高揚感)も価値である」

    というように、販売という行為の意味づけを書き換えていくのです。

    こうして捉え直すことができれば、販売は「奪う行為」から「喜びを提供する行為」へと変わります。

    そうすれば、販売の現場で言っていることと考えていることの乖離がなくなり、プロとして堂々と提案できるようになります。これが、メンタルヘルスを守りながら売上を作る唯一の方法です。

    私たち日本服装心理学協会の研修では、まさにこの「認知の転換」を体系的なトレーニングとして提供しており、実際に多くの企業で離職防止と売上向上の両面で成果を上げています。

    企業・本部が明日からやるべき「仕組みづくり」とは

    そして、組織としてやるべきことは、店長にカウンセラー役を求めないことです。 メンタルの専門家ではない店長に「治療」や「ケア」まで期待するのは、あまりに危険です。

    本部は、店長の役割を「発見(トリアージ)」に限定するルールを作ってください。

    • 店長は、部下の様子がおかしい(遅刻が増えた、表情が暗い等)と気づくだけでいい。
    • 気づいて報告したら、その時点で店長を評価する。
    • そこから先のケアは、外部の専門機関(私たちのようなプロ)にパスを出す。

    このように、店長が「解決しなきゃ」と抱え込まず、「プロに繋げばいい」と思えるルートを整備することが、店長自身の離職を防ぎ、ひいては店舗全体の健全化につながるのです。

    アパレル販売は本来、お客様の人生を彩る素晴らしい仕事です。
    しかし、それを支えるスタッフの心が折れてしまっては元も子もありません。

    精神論ではない、心理学的エビデンスに基づいた組織づくりをお考えの企業様は、ぜひ一度、日本服装心理学協会へご相談ください。